エジプト旅行・・・14
JUGEMテーマ:海外旅行 総合


朝目が覚めるとルクソールの西岸に到着していました。

メムノンの巨像です。
BC14世紀に建造された巨大なアメンホテプ3世の葬祭殿の前に立てられたという像です。

顔もかけていますし、残念ながら保存状態はかなり悪いです。
なんでも、地震で葬祭殿の大部分が崩壊しこの巨像も大きな亀裂が入ったんだそうで・・・かってはその亀裂に朝日が当たるとうめくような音が聞こえたとか。そして、崩壊した葬祭殿は、石材の調達場として使われちゃったとか。

今は、広場に巨像が立っているだけです。


バスで、ハトシェプスト葬祭殿へ向かいます。

途中で、貴族の墓など見えまして、その付近に村がありました。
ガイドの説明によれば、その村は比較的豊かなんだそうで・・・早いハナシ、村のまわりはすべて王家やら身分の高い貴族の墓だらけの訳で

カイロ考古学博物館のツタンカーメンのあれほどの宝物は、盗掘が無かったからこそ残っているモノで、それはだれが盗掘したか?
どうやら、この村のご先祖様だったようで・・・

ハトシェプスト葬祭殿です。

大階段の上に立つ、広いテラスがありまして、列柱と交易の様子などの浮き彫りがありました。

ココは、1997年のルクソール事件と言われる無差別殺傷テロ事件であるエジプト外国人観光客襲撃事件がおこった場所です。
日本人の新婚旅行者を含む観光客61名の方が無くなっています。
全く隠れる場所がないところでの銃の乱射は、どんなに恐ろしかったことかと寒気がしました。

今は警備が強化されていまして、手荷物検査、金属探知機をとおってエリア内に入ります。

ハトシェプスト女王さんは、古代エジプト唯一の女性ファラオで、義理の息子と共治王をつとめた方で、付けひげをつけて男性としての像が残されています。 
戦争ではなく、貿易で国を富ませたという実績があるそうですが、義理の息子のトトメス3世との中が悪かったと言われており、後世では王としての功績は抹殺されたとの解釈が一般的だそうです。

小神殿があったところでの列頭です。



ここから、王家の谷に向かいました。
3つの王様の墓に入りましたし、ツタンカーメン王の墓にも入ることが出来ましたが、カメラ禁止で画像がありません。

王家の谷は、太陽が突き刺し砂漠の中の岩山が連なる不毛の地という感じがしました。

岩山を風が吹き抜け、時々突風になってものすごく細かい砂を巻き上げ、一瞬ですが周りがすべて薄茶色になって、何も見えない状況になってしまいました。砂嵐の季節の始まりだそうです。

ここでは、24の王の墓を含んだ64の墓が発見されているんだそうですが、中はほとんど盗掘にあっているんだそうです。


大体の墓は、かなり急な坂道を登っていったところに小さな入り口がありまして、そこから下へ岩をくり抜いて道がついていまして、奥には神殿のような部屋と日常の生活のための道具をおいたと思われる2つから3つの部屋が作られていました。

長い間の修復作業のおかげだと思いますが、周りの岩壁は漆喰が塗られ、鮮やかな色彩で壁画が描かれていました。


王家の谷とツタンカーメンの墓の入場券です。

王家の谷が100ポンド、ツタンカーメンの墓が100ポンドですが、王家の谷の入場券の穴は3カ所入ったという印ですし(穴空け器を持った係が入り口にいました)、ツタンカーメンのは50ポンドを2枚ホチキスで留めて100ポンドにしてあります。
思わず「アバウトだぁ」と声を出してしまいました。

ツタンカーメンの墓は、若くして無くなったために谷では一番地味な墓であるにも拘わらず、20世紀に発見されたその物語と莫大な財宝によってもっとも有名な墓となりました。

我々は大変幸運なことに、ツタンカーメンのミイラが展示されていました。
ほとんど骨格だけなのでしょうが、真っ黒になった顔と足先を見ることが出来ました。大変華奢な方だったように見えました。
墓の中では、どちらの国の方かわかりませんが、若い女性が3人ほどで修復作業をしていました。

ギザでは日本の早稲田大学が常設のテントを立てて、発掘作業に携わっておられるようで、各国の大学がエジプトで競い合っているようで「良いことだなぁ」と感じ入りました。

船で昼食を取った後は、東岸に移動してカルナック神殿、ルクソール神殿です。
つづくにします。







 
| アルビ中毒 | 旅行 | 11:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 11:23 | - | - | - | - |









トラックバック機能は終了しました。