エジプト旅行・・・最後
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エジプト旅行のこぼれたハナシなどを・・・ちょっとだけ

今回のツアーでは、おみやげ屋さんに3店寄りますと言われていました。
カーペット店(絨毯)、香水瓶店(香油がメインで瓶はおまけな感じ)、カルトゥーシュ店の3軒でした。

ツアーの行動はすべてツーリストポリスの許可を取っている訳で、我々が到着したときにはパトカーが止まっていて、自動小銃を持ったポリスが付近を歩いていました。

エジプトの方にすると、安全をアピールしたいのでしょうが、我々のために申し訳ないなぁと、気の小さい日本人は恐縮するような感じになってきました。

それぞれの店でツアーの方々誰かが、比較的大きな買い物をしたので、お店も、現地ガイドの方も、我々もウィンウィンだったなと感じました。


その中でとても感心したことがありまして・・・
どのお店も日本語が普通に話せる店員さんが多かったのですが、香水瓶のお店で瓶の説明をするときに、「金色」を「きんしょく」と言ったので、「ああ、きんいろだね」と返したら、買い物が済んでからその店員さんが近づいてきて「日本語ではこの色は、『きんしょく』ではなく、『きんいろ』と言うのですか?」と丁寧に聞いてきました。

「ま、普通は『きんいろ』と言うね」と言うととても感謝され・・・とても勉強熱心なんだなぁと感心するコトしきりでして、この勉強熱心さが無駄にならないように、日本人の観光客が増えればいいなと思いましたね。

そんなことで香水瓶

ラクダの形です。
中に入っているのは、香油ではなくヌビア砂漠の砂で、とても細かくサラサラしていました。


最終日にカイロのスーパーマーケットに寄りました。
今回のツアーでは下町のスークとかイスラムの寺院などには連れて行ってもらえませんで、したたかな売り子のおじさんたちとやり合って、エジプト綿のTシャツなどを買ってみたかったのですが・・・安全に配慮した結果だと思うのですが、心残りでした。

それでもスーパーマーケット(大型商業マーケットのような感じでした)ですので、おみやげ屋さんではなかなか手に入りにくいアレキサンドリアのミントティとかハルヴァというお菓子などを購入できました。

ここでハルヴァの話題です。
今回購入したのはこれです・・・すんません、アラビア文字の天地がわかりませんで・・


実はこのハルヴァにはとてもあこがれがありましてね。

現役の頃、東京と金沢に出張の多い時期がありまして、それもJRでの移動でしたので、文庫本を1冊カバンに入れていくのが習慣でした。
そんなときの本は、少し軽くて楽しくて・・・で、亡くなられましたがロシア語の同時通訳者の米原万里さんの書かれた本が好きで、「旅行者の朝食」を良く読んでいました。

その中に、「トルコ密飴の版図」というエッセイがありまして、こよなく美味しい幻のハルヴァというお菓子が出てきます。
このエッセイによれば、ハルヴァは、ソ連のイスラム圏だけでなく、中央アジア、近東バルカン半島で食されている甘いお菓子だそうで、砂糖と蜂蜜、ナッツの粉、穀類の粉などを泡状に混ぜ合わせたものなんだそうです。

正直に言えば、読んだときにハルヴァに出会えるなんて思ってもいなかったので、現地ガイドの方がスーパーの棚の商品を「これはハルヴァというお菓子で、朝食にも食べます」と説明されたとたん、一気に本の内容を思い出しました。

見つけたからには、初恋の人に出会えたような気持ちになって、箱単位で大人買い・・・
中身はこんなでした。

ベージュ色のブロック状でして、はじからホロホロと崩れます。
味は、甘さが勝っていますが、ナッツ(アーモンドに何かのナッツ・・・なんだろう)の風味が強く出ていて、日本人からすると若干香辛料が強め・・・おそらく、幻のハルヴァではないようですが、でも美味しかったです。

友人達にうんちくをおまけにつけて差し上げて、前日最後の1個が無くなりました。



最後の話題を・・・エジプトのビルです。
カイロでも、ギザでも大きな道路に面したビルの工事が多かったです。
革命の後遺症なのでしょうか、1階、2階の外壁をとって全くフラットになっているビルを多く見ました。

日本でのビルの建て方は全く素人ですが、日本のビルの外壁はコンクリート作りですよね。
エジプトでは、ほとんど煉瓦を積み上げた外壁のようなのです。

2階の外壁を作っている最中のようで、何段か積み上がっているのがわかります。
柱に鉄筋が入っているのは見ましたが、素人目にもかなり華奢な柱ですよねぇ。
それだけ地震の少ない地域の建物なんだなぁと思いました。

こんな高層ビルですが、作りは同じで・・・漆喰できれいに仕上げていますが、壁はすべて煉瓦の積み上げです。

国を立て直そうとしているんだと思いますが、こんな風に、めったやたらに工事をしていました。
国が違い気候や風土が違っていれば、建物の作り方なんぞは違って当たり前ですね・・・いろいろなところで旅愁を感じました。

2ヶ月に渡ってだらだらと旅行記を書いていましたが、これで最後にします。

本当に得難い体験をさせていただいたエジプトに感謝!






 
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エジプト旅行・・・17
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明日は鳥栖戦・・・3月は年度末進行やら行事が多くて、なかなかそろいませんでしたが、我が家はやっと全員で参戦できます。
それだけに、良い試合をして勝ってもらいたいなとココロから思っています。

もうちょっとですので、旅行記を書いていきたいと・・・

別の日のパーティでは、名物のベリーダンスらやスカートのようなモノをはいた男性が旋回するダンスなども見ましたが、動きが速いのと暗いなかでして写真が全部ぼけぼけで、ありません。
エンターテナーとしてとても楽しめました。

次の日の朝のルクソール神殿です。

桟橋のすぐ近くでした。

我々は密かに野望がありまして(野望かぁ)
ルクソール神殿の前にあるマクドナルドで、エジプトで食べられる「マックアラビア」を食べてみたいと。
もっと強い希望として、ルクソール店とシャルム・エル・シェイク店にあるマックのエジプト仕様のバスタオルを手にいれたい・・・がありました。

ただ、このツアーに参加するときに「個人行動はやめていただきたい」とまず釘をさされましたので、「この野望は無理だな」とあきらめました。

バスタオルは日本人だけに人気があったようで、観光客が激減したこともあって「今はないかも・・・」と言われたこともありましてね。
でも、自分の目でたしかめたかったなぁ。


ルクソール空港からエジプト航空でカイロに向かいます。

今回の旅行ではほとんどの空港で沖止めでした。

カイロ空港は、巡礼の季節が始まったそうで、ほんとうにごった返し

白い服を着ている方が、サウジアラビアのメッカに巡礼に行く方なんだそうです。

イスラム教徒の方にとってメッカ巡礼は、一生に一度は行かなければならないのだそうで、一族が盛大に見送りに来ているんだとか。
「大変誇らしいことなんですが、お土産などが大変なんですよ」と現地ガイドの方が話してくれました。


サウジに向かう飛行機と一緒になったようで、イミグレーションはもっとごった返していました。
巡礼も一種のツアーを組んでいるようでツアーリーダーに見事に横入れをされまして、我々の前に10数人のおばあさんの巡礼者が入りました。

ところがその方々は出入国カードを一切書いていないんです。
係員に突っ返されても、そこをじっと動こうとしませんで、あわてたイミグレ専用のアシスタントと現地ガイドの方が、聞き取りながら書いてやっていました。
もはや手伝うというレベルを超えていまして完全に代行ですね。(やってやらないと我々が全く進まない)

それを見ていた添乗員さんが「もしかしたらこの人達、書けないんかも」とぽつり


そんなこんなの大騒ぎの後、ラウンジでゆったりと・・・さすがにココは静かです。

この辺りは疲れて写真も、あらま、ないよ・・・でした。

いきなりドーハに飛びまして、今度はビジネスクラスラウンジです。

中東の方は、やっぱり水がおもてなしなんですね。
室内に池のような水場がありました。今回は3時間のトランジットで、飲み物をいただきながらアジアのような椅子でのんびりしました。

ドーハの夜景です。

窓越しなのであまりはっきりしませんが・・・
カタールは小さな国なので、アブラの富が国民の隅々まで行き渡っているようで・・・働いている人は、ほぼ出稼ぎの近隣の国々の方、食べ物や空港で売っているモノはすべて外国製
飛行機のサービスは享受しましたが、この豊かさは、うらやましいのか、うらやましくないのか・・・ちょっと考えました。

もう1回くらいつづくにします。









 
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エジプト旅行・・・16
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夜にガラベイヤ(民族衣装)パーティがありました。
船のお店に民族衣装が売っていましたが、色彩の豊かさに恐れをなして購入しませんでしたが、夜はとてもにぎやかなパーティになりました。

我々のツーメンバーに誕生日の方がいらしてケーキが振る舞われたり、エジプトの家族の方々の中に小学生らしいお嬢さん達がいて、とてもかわいらしく盛り上げていただきました。

エジプトの家族の方々は2家族で、どうらや新婚さんのそれぞれの家族のようで・・・「新婚旅行に家族がついてくるかい?」と不思議でしたが、パーティのなかで「キスだ!キスしろ!」とはやし立てられていましたので、「新郎新婦の家族だよねぇ」が結論でした。


まだヘジャブをかぶらない子ども達はかなり自由なようで、我々ツアーの男性とも踊ったり、ベリーダンスをまねしたようなおどりも見せてくれました。

写真にはありませんが、中学生くらいの女の子はもうへジャブをかぶり、決して男性の方には近づいてきませんでした。


大変楽しい時間をすごしている中で、我々の部屋では少しずつ異変が起こっていました。

チェックインの時に、部屋のカードキーを2枚受け取りましたが、最初から1枚が反応しません。
1枚ありゃどうにかなるから、ま、いいか・・・と思っていましたら、2日目には2枚とも全く反応しなくなりました。

フロントに行き、磁気が消えたようなので入れ直して欲しいと申して対応してもらいました。・・・が、まだ反応しません。

カードの問題よりも本体の問題のようだから見て欲しい・・・と。こうなると我々の英語モドキではどうにもなりませんで、現地ガイドにアラビア語で話してもらいました。

フロントの人は、現地ガイドに恐縮しながら電池を持ってきまして、2本取り替えて行きました。
そしたら、カードが反応するんですねぇ
そうか、電池切れかぁ・・・「2週間に1回全部取り替える」というメンテナンスをしていないんだなと思いましたが、動くからま、いいや・・・でした。

そして、パーティの夜です。
また、カードが反応しなくなりまして「どういうコトなんだ」と強く申しましてら、また電池を持ってきまして・・・全部で4本入っていたのに、先回は2本だけ取り替えたのです。

しかしねぇ・・・アバウトにも程があるよと思いましたねぇ。

ところが、こんな使い方をしたせいか、本格的に故障してしましまして、機械にPCを直結させて直接プログラムからでないと動かなくなってしまいまして・・・最後の夜なのに、部屋を変わるかというハナシになってしまい、楽しかったパーティがぐだぐだに。

ドアは中からは開くんですが、外からは開けられないと言う状態で、貴重品さえ持っていれば、次の日は帰るんだからと我慢することにしました。

実は、そのときの船の対応が不満なのです。
船のマネージャーは、現地ガイドと添乗員に対してひたすら謝っていましたね。
ところが、我々には謝罪がありませんでしたね。

添乗員は日本に帰って「あの船会社はもうやめましょう」と言われれば大変でしょうし、現地ガイドはそれなりに力があるようでした・・・ので、マネージャーにすれば怖い存在でしょうねぇ。

被害は我々が被ったんだけどなぁ・・・と、これもまた国民性なのかしらんと思っています。

今回はちょっと愚痴が入りましたが・・・つづくにします。
| アルビ中毒 | 旅行 | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
エジプト旅行・・・15
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カルナック神殿です。
昔テーベと呼ばれた都のあった街に建てられた、残っているの神殿では最大規模なんだそうで、今でも発掘、修復作業中です。

第一塔門です。

この第一塔門の高さは43メートルもあるんだそうで・・・塔門の後ろに、日干し煉瓦が坂のように積み上がっていて、ここから石を積み上げたりの工事をしたという説明を聞きました。

塔門の前の参道には、40体の牡羊の顔をしたスフィンクスが並んでいます。
この神殿はアメン神に捧げられたものだそうで、そのアメン神の神獣が牡羊なんだそうで・・・。

中にはいると、巨大な列柱室です。

天井はほとんど失われていますが、砂岩で作られた列柱とびっしりと彫り込まれたレリーフが見事です。

後ろの方にオベリスクが輝いています。

この神殿では、3本のオベリスクがありまして、2本は立っていますが1本は聖なる池の畔に横たわっていました。

オベリスクとは、神殿などに建てられたいわば記念碑のようなモノなんだそうです。

昔はオベリスクのてっぺんには金と銀ので覆われ、その反射する光で太陽神をたたえたんだそうで・・・。

古代エジプトでローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクが略奪品として持って行かれたそうで、その後も統治した国の戦利品として持ち出され、現在のエジプトにはこのカルナック神殿とルクソール神殿に残るのみ・・・現地ガイドの方が「それぞれの国で大事にされているのはわかるんですが、寂しいですねぇ」と言っていました。


神殿の列柱に圧倒されつつ、ルクソール神殿に向かいました。
この神殿は、もともとカルナック神殿のアメン神殿の付属神殿として作られたんだそうで、この神殿のスフィンクス参道がカルナック神殿と結ばれていたんだそうです。

この参道は現代の道路が通って分断していますが、現在発掘・修復作業中で、いつか本当にカルナック神殿とルクソール神殿が昔のように結ばれるんだそうです。

ライトアップされたスフィンクス参道です。



第一塔門とラムセス2世像とオベリスクです

両側にオベリスクがあったそうですが、もう1本はパリのコンコルド広場に移設されています。
そういえば、何年か前にパリに行ったとき、「クレオパトラの針」というエジプトのオベリスクだと聞いてましたっけ。

ラムセス2世の中庭です

この神殿も長い間砂に埋もれ、その上にイスラム教徒が生活をしていたんだそうで、このラムセス2世の中庭には13世紀に建てられたイスラム教のモスクがありました。

キリスト教も例外ではなく、ローマ時代のキリスト教の祭壇の後などがありました。


だんだん日がかげってきまして、夕日がとてもきれいでした。
写真からは(カメラもアレだし、腕はもっとアレなので・・・)イマイチ迫力がありませんが、本当にアフリカの夕日でした。

いつか、この沈む太陽をサファリで見てみたいモノだと・・・

夜は、パーティがありまして・・・もう2回くらい、つづくにします。









 
| アルビ中毒 | 旅行 | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
エジプト旅行・・・14
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朝目が覚めるとルクソールの西岸に到着していました。

メムノンの巨像です。
BC14世紀に建造された巨大なアメンホテプ3世の葬祭殿の前に立てられたという像です。

顔もかけていますし、残念ながら保存状態はかなり悪いです。
なんでも、地震で葬祭殿の大部分が崩壊しこの巨像も大きな亀裂が入ったんだそうで・・・かってはその亀裂に朝日が当たるとうめくような音が聞こえたとか。そして、崩壊した葬祭殿は、石材の調達場として使われちゃったとか。

今は、広場に巨像が立っているだけです。


バスで、ハトシェプスト葬祭殿へ向かいます。

途中で、貴族の墓など見えまして、その付近に村がありました。
ガイドの説明によれば、その村は比較的豊かなんだそうで・・・早いハナシ、村のまわりはすべて王家やら身分の高い貴族の墓だらけの訳で

カイロ考古学博物館のツタンカーメンのあれほどの宝物は、盗掘が無かったからこそ残っているモノで、それはだれが盗掘したか?
どうやら、この村のご先祖様だったようで・・・

ハトシェプスト葬祭殿です。

大階段の上に立つ、広いテラスがありまして、列柱と交易の様子などの浮き彫りがありました。

ココは、1997年のルクソール事件と言われる無差別殺傷テロ事件であるエジプト外国人観光客襲撃事件がおこった場所です。
日本人の新婚旅行者を含む観光客61名の方が無くなっています。
全く隠れる場所がないところでの銃の乱射は、どんなに恐ろしかったことかと寒気がしました。

今は警備が強化されていまして、手荷物検査、金属探知機をとおってエリア内に入ります。

ハトシェプスト女王さんは、古代エジプト唯一の女性ファラオで、義理の息子と共治王をつとめた方で、付けひげをつけて男性としての像が残されています。 
戦争ではなく、貿易で国を富ませたという実績があるそうですが、義理の息子のトトメス3世との中が悪かったと言われており、後世では王としての功績は抹殺されたとの解釈が一般的だそうです。

小神殿があったところでの列頭です。



ここから、王家の谷に向かいました。
3つの王様の墓に入りましたし、ツタンカーメン王の墓にも入ることが出来ましたが、カメラ禁止で画像がありません。

王家の谷は、太陽が突き刺し砂漠の中の岩山が連なる不毛の地という感じがしました。

岩山を風が吹き抜け、時々突風になってものすごく細かい砂を巻き上げ、一瞬ですが周りがすべて薄茶色になって、何も見えない状況になってしまいました。砂嵐の季節の始まりだそうです。

ここでは、24の王の墓を含んだ64の墓が発見されているんだそうですが、中はほとんど盗掘にあっているんだそうです。


大体の墓は、かなり急な坂道を登っていったところに小さな入り口がありまして、そこから下へ岩をくり抜いて道がついていまして、奥には神殿のような部屋と日常の生活のための道具をおいたと思われる2つから3つの部屋が作られていました。

長い間の修復作業のおかげだと思いますが、周りの岩壁は漆喰が塗られ、鮮やかな色彩で壁画が描かれていました。


王家の谷とツタンカーメンの墓の入場券です。

王家の谷が100ポンド、ツタンカーメンの墓が100ポンドですが、王家の谷の入場券の穴は3カ所入ったという印ですし(穴空け器を持った係が入り口にいました)、ツタンカーメンのは50ポンドを2枚ホチキスで留めて100ポンドにしてあります。
思わず「アバウトだぁ」と声を出してしまいました。

ツタンカーメンの墓は、若くして無くなったために谷では一番地味な墓であるにも拘わらず、20世紀に発見されたその物語と莫大な財宝によってもっとも有名な墓となりました。

我々は大変幸運なことに、ツタンカーメンのミイラが展示されていました。
ほとんど骨格だけなのでしょうが、真っ黒になった顔と足先を見ることが出来ました。大変華奢な方だったように見えました。
墓の中では、どちらの国の方かわかりませんが、若い女性が3人ほどで修復作業をしていました。

ギザでは日本の早稲田大学が常設のテントを立てて、発掘作業に携わっておられるようで、各国の大学がエジプトで競い合っているようで「良いことだなぁ」と感じ入りました。

船で昼食を取った後は、東岸に移動してカルナック神殿、ルクソール神殿です。
つづくにします。







 
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エジプト旅行・・・13
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昨夜は、祝杯を上げるにはちょっとアレだし、反省会にしてはそれもアレだしで、中途半端な飲み会でしたが、「増田がやれることを証明してくれたし・・・」とか、「ラファがいなくても2点取れたしぃ・・」などを肴に楽しい時間でした。



そんなことで、気分が盛り上がっているときに、一気呵成に旅行記を書いちゃえ・・・です。


エドフを発った船は、ルクソールに向かって進んでいます。

デッキでアフタヌーンティーを楽しんでいると、エスナの水門にかかってきました。

エスナの町には2つの橋が架かっていまして、この橋は堰としての機能があって、船で運行するときには上流と下流の水位差を調整
しながら通る必要があるので、この水門通過はナイルクルーズの目玉になっています。

一つめの堰は通過です。

今回は順番待ちがありませんで通過が早かったでしたが、様々な物売りがバスタオルやらスカーフなどのサンプルを船に投げてきます。
欲しければ、船員が申し込み表を持っているようで、値段交渉になりますね。・・・これがいわば名物になっているようです。


2つめの堰で水位調整がおこなわれます。

完全に船が入り、後ろが閉じられたのでこれから排水が始まります。


我々がいたデッキ階がほぼ地面と同じ高さまで沈み込みまして、約8メートルの水位調整が終わると出発です。

今回は、上流から下流に向かっているので沈んだわけですが、下流からの場合はグ〜ンと上に上がるわけで、それもまた経験してみたモノだと思いました。

エスナの水門もすぎ、お茶の時間も終わった頃、ゆっくりと太陽が沈んでいきました。


深夜にルクソールにつきまして、明日は王家の谷とカルナック、ルクソールの神殿です。

エジプト旅行も最終版にさしかかっています・・・つづくにします。
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エジプト旅行・・・12
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エドフに到着してハヤブサの神様のホルス神殿に向かいます。

馬車に乗って出かけます。

岸に何十台もの馬車が並んでいて大声で客引きをしている様子は、まさにアガサクリスティの「ナイル殺人事件」そのものです。


エドフのホルス神殿入り口の大塔門

大きな浮き彫りが見えます。

黒大理石のホルス神像・・・頭上には冠が乗っています。

ハヤブサの神様は、かなり地位が高い神様の様で、10ポンド紙幣に印刷されているカフラー王の頭にも描かれています。


神殿の中庭に面して列柱が囲んでいます。


保存の良い神殿でしたが、エジプトを支配したキリスト教徒によって破壊が見られました。

建物の天井ですが、黒くすすけています。
なんでも遺跡を破壊する目的で放火されたからだとか。


そしてレリーフにも明確な破壊の跡が・・・・

レリーフを壊そうとした後ですが、破壊しても破壊しきれないで、ホルス神の様子もはっきりわかります。


今もシリアやイラクではISによる遺跡の破壊が進んでいるそうですが、それにしても、キリスト教徒にしてもイスラム教徒にしても異教徒に対する拒否感はすさまじいモノがありますね。


仏教徒といいながらも、ファジーさを持っている日本人には理解しがたい状況です。


エドフの町の様子です。
エドフ付近では、普通の生活の中に馬車やロバの荷車、そしてオート三輪を見まして、時代をかなりタイムスリップした感が強かったです。

ごく若い人を除いて男性はこの服装をしている方が多かったですし、女性に至っては黒一色でした。


重い荷物は頭に載せて運ぶようで・・・・アフリカですねぇ

船にはエジプト人の2家族の方々が、何かのお祝い事のようで乗っていましたが、女性達はヘジャブというスカーフはしっかり巻いていましたが、あとはごく普通の服装でしたので・・・


ここも観光地としては規模が大きいので、物売りの方が多かったです。

ギザのピラミッドあたりでも、根性の座った物売りの方がいましたが、現地ガイドの方が交渉して妥当だと思われる絵はがきなど購入できたり、ラクダに乗ったときもガイドの方が付き添ってくれて「とんでもないところに連れて行かれて法外な値段の請求がある」なんてコトもありませんで・・・耐性がなかったようで。


小学2年生くらいの女の子が、カラーのタイルを加工したようなブレスレットを一つ持って「ワンダラー、ワンダラー」と言いながら離れません。

冬休みは終わって学校が始まったと聞いていたのに、「この子、学校へ行けてないんかな」と考えるとたまらなくなって、買ってやることにしました。

せめての交渉で「2つでワンダラー」と申しましたら、あっさり「OK」になって、商取引成立です。

ところがそれを見ていた小学校高学年くらいの男の子が、そのブレスレットを3個差し出して「ワンダラー」と離れなくなりました。
「NO!」と言っても離れず、馬車まで200メートル位をず〜とついてきました。

とうとう買わなかったのですが、いまでも相方はこの話をすると、涙ぐんで「買ってやれば良かった」と申します。

定価取引になれている日本人は、エジプトのスークで値段交渉に大変な思いをすると聞いていますが、こうやって商人はできあがるんですねぇ。

エスナの水門を通ってルクソールに向かっています。・・・つづくです。
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エジプト旅行・・・・11
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この旅行記ももうちょっとかな・・・と思いますので、「旅行記ばっかりでウザイ」と思われるでしょうが、お付き合いを


とにかく、リバークルーズは快適です。
船はほとんど揺れませんし、なによりも毎日荷物を作らず、クローゼットにしまっておけるのがとても良かったです。

乗船した夜は疲れもあって、夕食に「サッカラビール」をいただいて一気に寝ました。
夜、ゆらりと揺れたようでしたが起きてみればコムオンボに接岸していました。

今日から朝はゆっくりなのですが、気温の低いうちに観光しちゃえのスタンスは変わらないようで・・・

ワニの神様のコムオンボ神殿です。

朝はすこしひんやりとして、上着を羽織ってちょうど良いって感じです。

時代はローマ時代で入り口が二つあって、二つの神様のために作られた神殿だそうです。

有名なのがワニの神様で、ワニのミイラが展示されていました。


レリーフが、浮き彫りになったモノでした。


基礎に近い場所にまでレリーフが彫ってありまして、膨大なエネルギーを感じました。


船はゆっくりと動き出し、エドフに向かっていきました。
我々はお茶を飲みながら、現地ガイドからエジプトの状況についていろいろと聞くことが出来ました。

選挙で選ばれた大統領が、軍事クーデターでひっくり返された・・・と言う点に引っかかりを覚えていましたが、ムルシ元大統領がかなり強引だったようで、安定を望むからこそ、現政権を支持する・・のようなニュアンスを感じ取りました。

今回の現地ガイドは、「私はヌビア人です」なんだそうでして、日本語も堪能でとても博識でユーモアもあり、有能な方だなぁと楽しめました。

エドフに到着した午後からは、ハヤブサの神様の神殿のホルス神殿観光です。
これも又喧噪のルツボ・・・でつづくにします。
 
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エジプト旅行・・・10
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アブ・シンベル神殿です。
1960年代、アスワン・ハイ・ダムの建設計画によってナセル湖に水没する危機にあったヌビア遺跡です。
ユネスコの国際的な救出活動によって、正確に分割されて約60メートル上の方に移設されたモノです。
このことによって、「世界遺産」という考え方が出来たそうです。

アブ・シンベル大神殿です。

おそらく海運が発達していたのでしょうが、3500年も前によくこのような岩をくり抜いた建物を建てたよなぁとしみじみと思いました。
建てたのは、ラムセス2世で、この4体の像は、それぞれの年齢のラムセス2世だそうです。

この神殿では、年に2回ラムセス2世の生まれた日(2月22日)と王に即位した日(10月22日)に神殿の奥まで日の光が届き中の像を明るく照らすんだそうですが、移転によって日にちがずれてしまったとか聞きました。

アブ・シンベル小神殿です

ラムセス2世がもっとも愛したと言われているヌビア生まれの王妃ネフェルタリのために建てたと言われている神殿です。
立像が6体ありますが、うち4体がラムセス2世で王妃が2体です。

それにしても、奥の神殿もろともこの像を分割して移転するだなんて、ものすごい工事だったですね。


観光が終わり、また270キロを3時間かけてアスワンまで戻ります。

指定された4時のコンボイで出発と聞いていまして、他のツアーのバスは次々と出て行きました。


我々のバスは、大型の元デラックスバスにツアー客10人とガイドさんで15人しか乗っていませんで、定員にゆとりのあるバスが最後尾になって、故障して動けなくなったバスのお客を乗せるんだそうで・・・最後尾に出発です・・がエアコンが安定しません。

少し冷えた状態で出発して20分ほどで、運転手が天窓を開けに来ました。
 

この時点で、あきらめました。

ま、5時をすぎたら日没になって「寒く」なると説明を受けましたけれど・・・。

全員がぐったりとして・・・


このツアーは、本当に高齢者の方が多くて、最高齢は84歳、信じられないことに我々が最少年齢・・・成田で顔をあわせたときには本当にびっくりでした。
反面、この時期にエジプトに行こうとする剛の者は、かなり混沌とした国々に行っておられる方が多く、こんなトラブルにも動じませんでした。

それでもやっぱり、往復6時間のノンストップバスはきつかったです。

もう少し注意深く、アブ・シンベルで1泊するツアーを探すべきでしたねぇ。



そして、本日からナイル川のクルーズが始まりました。

観光が目玉だけあって、朝ピックアップされたスーツケースは、一度も手を触れることなくクルーズ船の客室に届いていました。(この辺りのシステムは見事です)

クルーズ船の「アマルコ1号」です。

アマルコ2号も運行していまして・・・ま、それだけ年季が入っている船ですね。

渡し板を通って、1階がロビー階、ラウンジなどがありまして、我々の部屋は3階でした。
屋上階はサンデッキになっていて、小振りなプールがあったり、ティータイムを楽しめたりとのんびり出来る様になっていましたが、やっぱり冬で、本をもってチェアで日光浴を楽しむと言うわけには行きませんでした。

地下階はレストランで、少し高い場所に窓がありまして、そこがほぼ水面

船を着けられる桟橋が多くないようで、クルーズ船は世に言う串刺し状態で停泊します。
沖側に停泊した船のお客さんは、岸側の船の中をとおって岸に上がります。
ロビーでお茶を飲んでいたら、いきなりがやがやと外人さんが通っていたのには驚きました。

争乱以来、観光への打撃はとても大きく、約200艘ある船で運航しているのは34艘だとか・・・

船室はこんな感じで、バスタブも付いていて居心地は悪くなかったです。

あるちょっとしたトラブルはありましたけれど・・・。


この船で3泊して、遺跡を見て回りました。
次はコムオンボ、エドフのことなどを・・・つづくにします。

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エジプト旅行・・・9
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ギザのメナハウスで2泊しまして、国内線で思い切り南へ飛びます。
エジプト旅行では、日中が動けないほど暑いので早朝に移動することが多いと聞いていました。・・・が、今はエジプトでも冬、ギザでは最高で32度でした。(夜間は13度くらいまで下がります。なんでも1日に四季を感じることが出来るんだそうで)

ですから、それほど早い便の必要はないハズですが、このツアーは、ビジネスを使っても比較的リーズナブルな費用設定でしたので、たぶん、こんなところにしわ寄せが来ているのいるのかな・・・と思った時間設定

モーニングコールが2時15分(真夜中じゃん)
荷物回収が2時45分
出発が3時15分
カイロ発5時45分のフライトでアスワンへ(国内線はエコノミーだよと聞いていたのに、ビジネスが割り当てられたから、ま、いいかぁ)
パンが2個、ゆで卵、チーズなどのたっぷりしたお弁当を持たされたのですが、エジプト航空の飛行機の中でも食事が出て、ブロイラーだなぁ

アスワン空港です

ギザではめずらしく曇り空でしたが、抜けるような青い空・・・アフリカです。

1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムに来ました。
このダムおかげで、毎年氾濫していたナイル川の治水ができたことと、必要な電力をまかなうことが出来たんだそうですが、一部生態系に影響を及ぼしているなどの話も聞きました。(ダムの下流はワニが生息しないとか、氾濫による土壌の豊かさが無くなったなど)
でも、ダムにより出現したナセル湖の水は農業用水を安定させ、砂漠の緑化も行われたそうで、すばらしい大事業だったんですね。

どこまでも(本当に国境を越えてスーダンまで)つづくナセル湖

ダムの反対側・・・放水をしている方です。

水平線近くに茶色い帯状の雲がありますが、砂漠の色が反射して雲が染まってるんだそうで・・・エジプトの砂漠の広さがわかります。


アスワン・ハイ・ダム観光の後は、ヌビア砂漠を3時間バスを走らせてアブシンベルへ向かいました。
砂漠の中に1本アスファルトの道が通っていまして、周りは全く砂と少々の岩石だけ・・・全く・どこまでも茶色い世界です。
このバス移動は、何台かまとまってコンボイを組んで走るようでしたが、我々はプライベートの許可を警察から取っての移動でして、この間にトイレ休憩で止まることは許されていません。
トイレを借りられるような建物も全くありませんので、バスにトイレが付いていました。

実は、テロリストが観光産業に打撃を与えるために、ツーリストを狙うとしたらココが一番危ないのかな・・と、ちょっと緊張していました。


外気温は34度、日差しが鋭く刺さります。
エジプトでは、ホテルもそうでしたがエアコンを強くして良く冷やすのがサービスのようで、このバスでもひやっとするほど冷房がきつくかけられていました。
高齢者ばかりのこのツアーは、耐えきれず「弱めてくれ」と言ったら、いったんエアコンを切りました。
しばらくすると、現地ガイドと運転手の一人の方が、あわただしく空いている席のカーテンを閉めるやら、天窓を開けるやらをはじめまして・・・エアコンの再稼働が出来なくなったとか
この10年も働いたような元デラックスバスは、窓を開けることが出来ないのです。
それからの2時間は、灼熱地獄を体験しましたナ

アブシンベルは町だから、部品もあるし、修理する技術者もいると現地ガイドは自信たっぷりでしたが、添乗員さんはものすごく不審のまなざしで見ていました。

アブシンベルについて、バスの修理は任せて我々はヌビアンレストランで昼食です。

コンクリート造りに見えますが、土に草を混ぜて練り上げて形を作った「日干し煉瓦」の建物です。

内装はこんな感じです。極端に雨の少ない地域では、今でも建築材として使われているんですねぇ・・・本当にびっくりでした。

そして、もっとびっくりしたことは、中にいるととても涼しいことです。
エジプトは空気が乾燥しているので、突き刺す太陽光でもちょっと日陰に入れば涼しいのですが、日干し煉瓦造りのこの建物は壁が厚いので熱も伝わらないのですね。

食事の後は、ピラミッドと双璧をなすアブ・シンベル神殿の観光です。
つづくにします。 


 

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